ついに名前はまだない

名前が決まらないまま8年が経とうと……あれ10年目入ってない?

当たった…だと…

 ドン・モグーラ?が実装されたということで,何気なく200枚のふくびきを握りしめてチャレンジ.

 最初の10枚で当たるという奇跡.今まで1000回以上引いてきて,3等以上は片手で数えられるくらいだった私が,その次の10枚でもマジンガを引き当てる奇跡.
 …なんてこった!こんなところで運を使い果たしてしまった!

 「使い果たせるような運もないじゃん…」



 うるさい!確かに全くと言っていいほどこういうのは当たらないけど!

 とりあえず,モグラはどうせ勝ち目がないのでコインは即座に売却.45万になりましたとさ.
 マジンガはあとでチームの人と一緒にいくつもり.勝てるかなぁ?楽しみだね.

 あ,そういえば,チムメンの部屋で聞いた天空のオルゴールのBGMがツボって,思わずポチってしまったサントラが届いた.聞きながら書いてる.ドラクエ自体はあまり好きじゃないけど,それはゲームシステム(特に戦闘)が嫌いなだけで,BGMとかは結構好き.悪くないね,これは.
 オルゴール自体を目的に買ったけど,悪くない買い物だったかも.オルゴールもいい感じだしね.

 …あっ,もしかしてこの課金効果でモグラとマジンガが当たったとか?だとしたら,このゲームにも当たりIDが存在するのか…?


 PSO2の話.
 スクラッチの更新がいつの間にか来ていたので,早速衣装を購入.ロストパープルがかっこいいけど,高いので断念.他にいくつか欲しいものを買って終了.というか,アイテムがもう持てない.どうしたものかなぁ?



 という感じでおしまい.今日は早めに休もう.いろいろ考えたいこともあるしね….



 以下,カオス過ぎる思考メモ.

 考えたいこと.とりあえず,とある人に昨日のことを謝ろうと(メールみたいなものだけでなく),声をかけたけど話したくないという感じに言われた.
 昨日の今日で話しても何も変わらない,と.確かにそのとおりかもしれない.色々考えてみたけど,まだ反省も足りないのかもしれない.今日明日,もう一度初めから考え直してみようと思う.

 私が望んでいたものは何か.私はそのためにどうしなくてはいけなくて,どうしたいのか.未だに答えは見つからない.けれども,この不安を他人に伝播させて不幸にさせるのは本意ではない.
 「みんなハッピー」のためにはどうすればいいのか.

 色々な考えが頭のなかを巡って混乱してきた.やっぱりまだ,考えが足りない.反省が足りない.

 私がしてしまった罪,その罪に対する罰.こうなっているのは因果応報だから,受け入れなきゃいけない.逃げることはできない.正面からぶつかって認めないといけない.
 そうすれば私は前に進めるだろうか.この2年という月日は私という人間を定義するのに十分すぎる時間だったのかもしれない.すぐには変われない.でもすぐに変わらなければいけない.もう私の行為で大切な仲間を失うのは嫌だから.早く変わらないといけない.でも変われない?

 多分,今でも私はあの日から動けていない.あの日が私の思考に干渉して,邪魔をする.

 大切な仲間を守るためにはどうすればいいのか.私という悪意から守るには…私がいなくなるしかないのか.それが「みんなハッピー」ならば,しかし,自分はどうなる?みんなに私は含まれないのか.含めるべきではないのかもしれない.きっと,「みんなハッピー」なら私はハッピーなのかもしれない.
 だとすれば,それが答えか.

 それを望まなかった人がたしかにいることを覚えている.でも,その人を守るためには私が去るしか無いのかもしれない.

 結局,ここへたどり着く.私の望んだ答えではないところに.いつも別の道がないか探してみるも,ここにたどり着く.

 もう限界かもしれない.でも,諦めずに何度でも考えなおすべきだ.必ず未来はあるはず.しかし,私が悪意を持った人間ならどうだろうか.私という要素が絡めば必ず不幸が訪れるなら,排除すべきは私自身ということになる.このループから抜け出せない.

 認めたくないけど,それが事実なのかもしれない.私は本質的に悪で,善人の仮面で覆い隠しているだけ.仮面は自分の本質から作られるという話を聞いたことがある.人にいい顔をしたいということは,自分にとって価値のあると思うものを材料にすると.だが,こうは考えられないだろうか.
 悪人故に善人に見られる方法を知っていると.反対のことをすればいいのだから.人に悪いことをしようとする人は間違いなく悪人だが,人に悪くないことをする人は善人かもしれない.
 だからこそ,仮面を外すのが怖くて,誰の前でも演じているのかもしれない.外せば悪人だから.そうなれば周りに誰もいなくなる.一人は嫌だから,周りの人の中に溶け込んでおきたいから.

 ああ,そうか.やっぱり私は異端なのかもしれない.かつて周りが勝手に敵になって,私を敵視してきたことがある.そのことが今の私につながっているのかもしれない.無難な私を演じて,周りに溶け込むことが私が学んだ処世術なのかもしれない.誰もがしていることかもしれない.でも,私は違う.その時から悪人だったのかもしれない.その時,悪人になったのかもしれない.だからこそ,仮面をかぶらなければいけなくなった.自分を守るために.

 大切な仲間を守りたいのではなく,私自身を守るために必要なだけなのかもしれない.もし,今仲間だと思っている人たちがいなくなれば,認めてしまうから.私が悪人で,不幸を振りまく存在だと.くじ引きとかで当たらないのも不幸を振りまく人間だからかもしれないね.

 私は何者なのだろう.これまで10年以上考えてきたが,見つからない答え.いつの間にか仮面を被って演じ続けてきた気がする.違和感に気づいてから10年以上経った.でも元の自分を覚えていない.仮面の外し方も忘れてしまったのかもしれない.外したくないだけかもしれない.外したら,空っぽだから?偽りの自分をパッチワークのように作り上げて,自分がないことをいつも恐れていつか仮面を外したいと言っていつまでもそんなものに頼って変わろうとしなかった.
 今がその時なのかもしれない.家族にも友人にも仮面をつけて接しているのはもう終わりにするべきなのかもしれない.

 一つ思うのは,仮面をつけているのではなく,仮面そのものが私だったらどんなにいいか.仮面で偽られた私が,私自身なのではないかということも考えたことがある.仮面と思っているものが私.被っているのが偽りの自分.
 仮面を被っているんだと,自分を認めたくない虚栄心が私を捻じ曲げているのではないか.仮面以上の,あるいは仮面以下の存在があると虚栄を張っている自分が,偽りの仮面の中身を作り出しているのではないか.

 仮面が苦悩する私を作っているとしたら?仮面が本体で,私自身は仮面によって創りだされたマネキン.もしそうだったら,私は優しい存在ということになるのだろうか.他者を認めて,気を遣って,罪の意識に傷だらけになって,悪意を仮面の外に出さないようにしている.

 この考えに至ったことはなかった.仮面自体が私だったら?私は仮面をつけていることはないし,悪人でもない.むしろ,人がかならず持っている悪意を仮面の内側に,自分の内側に押しとどめて出ないように押さえつけている?
 この考えで,過去を説明できるだろうか?私が犯した罪は,私という仮面が押さえつけられなかった悪意が漏れだした結果?だが,仮に押さえつけているとしたら,私の中には悪意が充満していることになる.それはやはり悪人なのではないだろうか.悪意の全くない人間は世の中にはいない.でも,悪意が充満している人間を人は悪人と呼ぶのではないだろうか.

 考えが進まなくなってきた.今日はこれで終わりにしよう.もう少しで答えが見えそうな気がする.もう少し続けたいけど,寝ることでこの思考が整理されて,明日,また新しい発見があるかもしれない.
 休憩は重要.頭の整理は重要.この両方を一度に効率よく確実に行えるのが,睡眠.

 だから,今日はもう寝よう.…見なおしてみたら,すごい長さになってる.そう遠くない未来,これを見直して変なこと考えてたなぁと思うのだろうね.